猫と暮らしと

4匹の猫とのんびり暮らし

大和ミュージアムへ行きました

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今日は広島県呉市の、大和ミュージアム呉市海事歴史科学館)へ行ってきました。
映画が撮り終わった後はセットがここで期間限定で公開されていたそうで、その頃ぜひ見たかったなぁと思いました。

ミュージアムの中には1/10(それでも26mもある)の精密に再現された戦艦大和が展示されています。

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前方から

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戦艦艦橋と砲弾

艦橋と呼ばれる一番高い部分は司令塔にあたり、海面からの高さ約40mで10階建て程度のビルに相当します。

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大和後方から

戦艦大和は、昭和16年(1941)12月16日竣工しました。
現在でも世界の歴史上最大の戦艦です。
昭和20年4月、計画乗組員2500人のところ3300人程の乗組員を乗せ沖縄への海上特攻作戦に戦闘機の援護もなく出撃し、九州南西沖でアメリカ軍の攻撃を受け沈没しました。
生存者はわずかでした。沖縄戦初期のことです。
あと4カ月で、戦争は終結しました。

ミュージアムでは、生存者の方のお話をビデオで聴くことが出来ます。
その中で、特攻なので帰りの燃料を積まないよう指示が出ていたにも関わらず、帳簿外で往復分ギリギリの燃料を積んでいたと話していました。
「特攻の先駆け」となる大和を送り出す係の人が、帰還の願いを込めてやった行為だそうです。

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回天

これは人間魚雷。奥の方に突き出ている部分がありますが、その位置が人が入るところ。これに乗って突撃したのは20歳そこそこの若い人たち。
そうまでしなきゃいけなかったのか。

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ゼロ戦

大和ミュージアムには同時に戦闘機(ゼロ戦)も展示されていました。
コックピットは狭いもの。これに乗って若者が突撃していったのですね。

ここには、大和プロジェクトで実際に海底から引き揚げられた大和のカケラや、乗組員の家族に宛てた手紙、制服、使われていた食器などが展示されています。
館内をゆっくり見て回るだけで4時間かかりました。
駐車場にも県外ナンバーの車がたくさん。

屋外に出ると、呉港があり「大和波止場」と名付けられた桟橋があります。

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大和波止場

この写真は戦艦大和の前甲板の左半分を実寸大で表現しています。
写真を写している部分は3枚目の写真、艦橋がある部分からになるそうです。
ちょうど中心部分です。後ろにもこの長さがあるという事になります。
板張りが奥へ奥へと狭まって行っていますが、船首はその先端。
少し傾斜して上向きになっている、あの奥です。いかに大きい船だったか。
(大和は全長 263m 最大幅 38.9m 65,000t)

以前に広島市原爆資料館でもいろいろな資料を見ましたが、こちらも本当に見ごたえのある資料館でした。
考えさせられることがたくさん。重く重く受け止めました。