猫と暮らしと

4匹の猫とのんびり暮らし

まぁちゃんへ

1988年8月、まぁちゃんに初めて出会いました。
それまで私は猫が苦手でした。
それなのになぜまぁちゃんをもらったのか今も不思議です。
その頃私はとにかく毎日寝る間もなく働きすぎてボロボロに疲れきっていました。
1週間に半日ぐらいなら休みをとってもいいかななんて思い始めてた頃のことでした。

まぁちゃんは手のひらサイズでまだ毛がパサパサとしか生えてなくて、シャツの胸ポケットに頭だけ出して入ったくらい小さかったです。
猫の飼い方も知らなくて、何もかもが驚きでした。
しつけは、とりあえず一緒に寝るように、腕枕か私の枕はんぶんこで。
それからずっとまぁちゃんは、寝るときに枕をするようになりました。

秋が来てまぁちゃんのために羽根布団を買いました。
私が居ない時でも寒くないように。
それから夏以外はまぁちゃんはこの羽根布団じゃなきゃダメでした。
今あるのはもう20年前のものです。

小さなまぁちゃんがだんだん大きくなって、結膜炎や膀胱炎や尿道結石や、若い頃はしょっちゅう病院に行ってたけどそれも4歳くらいまででした。
もっと猫知識のある飼い主なら痛い目にあわせなくて済んだのかもしれません。

広島に来て、あの会社に勤めだして8年半。
昼休みは毎日まぁちゃんを見に帰っていました。
もう10歳を超えたあたりだったから心配でした。
雨でも台風でも雪でも、苦手な真夏の暑い日でも自転車で毎日必ず。

なんとしても定時で仕事を終わらせてまっすぐ家へ、まぁちゃんを確認。
そんなに一緒にいたのにな。あんなに心配ばっかりして欠かさず帰ったりしてたのにな。
あの時、平成17年12月、病院に入院してまぁちゃんと離れました。
毎日一緒に寝ていたのに、一晩たりとも留守番なんてさせたことなかったのに。

あんな事件ごときでこの街に住むことが出来なくなって、まぁちゃんには何の関係もないことなのに、きっとただひたすら待ってただろう。
まぁちゃんの体調が変わってきたのはその頃からでした。
前足の関節がおかしくなり、手のひらを付くはずが手の甲を付いたりしていました。
そして耳が聞こえなくなっていきました。

だんだんと耳が遠くなっていく日々はどんな思いだっただろう。
とうとう何も聞こえなくなったとき その時そばにいてあげられませんでした。
どんなに怖かったか。どんな世界だったか。
ジャンプして飛び乗っていたテーブルに上がれなくなりました。ショックだったろうと思います。お気に入りの場所にも上がれなくなりました。
それでも私は自分の恐怖を優先し、この家に住むことが出来なくなりました。

この1ヶ月でまぁちゃんは愕然とするほどに痩せ、まさに骨と皮だけになりました。日々痩せていくのがわかります。食べたいんだよね。水も飲みたいんだよね。
動かない足を必死で引きずりながら、壁にぶつかりながら、ごはんを食べに行きます。もうひとりじゃ起き上がれなくなったね。後ろ足が動かなくなったね。

まぁちゃん覚えてる? 何度も約束したよね。
まぁちゃんが生きている間は死なないって。死ぬ時は一緒だよって。
同時にはきっとムリだから、一瞬でも先に逝った方が虹の橋で必ず待ってる約束を覚えてる?忘れちゃダメだよ。

まぁちゃんともうすぐ20年。
私にとってあまりにもいろんなことがありすぎました。でも必ず傍に居てくれました。
なのに私は、あんな程度の事件に負けてしまいました。ごめんね。
まぁちゃんの気持ちに比べたら、もしかしたら小さなことだったのかもしれない。
頑張ってごはん食べよう。水も飲もう。身体はずっとさすって暖めるから、もうちょっと頑張って。

勝手だよね。ごめんね、いなくなってごめんね。
他の人には誰にも懐かない子だってわかってたのに置いていってごめん。
まぁちゃんは許してくれるの?
聞こえないのにじっと顔を見て、呼びかける口の動きでしっぽを振ってくれます。
手招きするとよろよろしながら近づいてきます。元気いっぱいだった時と同じに。
もう少し一緒にいよう。もうすぐ二十歳。あと2ヶ月。

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